「先生、1位だったよ!」:(小さな)コンクールを受けるにあたって

ある程度のレベルに来て、ある程度、入賞の可能性がみえる生徒には、小さなコンクールから試してもらっていて、今回、1位をいただくことができました。今日はそのことについて少し書いてみようと思います。

あくまでも、アメリカの現在私が住んでいる地域において ということなので、あまり参考にならない部分もあるかもしれませんが、私の生徒の記録の1ページとして残しておこうと思います。

ちょっと長くなってしまったので、エッセンスだけをお知りになりたい方は、目次より、まとめ をどうぞ。

これまでの歩み

彼は15歳、私とレッスンを重ねて、今年が6年目。お母様はなんとなくまだ3年くらいのお気持ちでいたみたいで、息子さんが「今年で6年目だよ!」というと、目を丸くして驚かれていました。(笑)ときが経つのははやいものです。

彼にはじめてレッスンをしたときのこと、なぜかとてもよく覚えています。ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲イ短調1楽章でした。ほかの先生と勉強していたようですが、なんらかの都合で、私のところにやってきてくれました。はじめてのレッスンで、音を弾くだけでなく、音楽性にも入っていったので、ちょっとびっくりさせてしまったかな という印象でしたが、毎週与える課題に真摯に取り組んでくれ、スケール、エチュード、曲 の3本柱(プラス必要なテクニックを学ぶための教材)をずっと守って積み重ねていきました。指に生まれ持っての小さな問題がありますが、ものすごく大きな問題となることなく、割りに標準的な感じで育ってくれています。

私は、毎年、生徒たちをレベルテストに送り、(そして、以前は発表会も)、自分のなかで前進している、という感覚をしっかり感じながら、レッスンを続けていってもらっていますが、そのレベルテストも使い方が大切。ときには、同じレベルを別の曲で受験してもらうことも経験してもらっています。その提案をすると、なかには、え?なんで?もう一度受かったのに??という気持ちをあらわしてくれる生徒もいます。けれども、ひとつのレベルに与えられている曲にも幅があるため、今年はこのレベルの下のほうの曲で受験しているので、来年は同じレベルで上のほうの曲で受験しましょう。そのほうがきちんと積み重なるから と説明をします。幸いにも、みんなあまり気持ちがよいものではない、あまり納得いかない、ということを顔にだしながらも、私の勧める道を一緒に歩いてくれ、そして、その後、このような結果が実った際に、そのときのことを振りかえって話しをしたりすると、先生の言うとおりだったね、と納得してくれます。

また、私はレベルテストをかなり真剣に捕らえ、コンクールにでるときに近いところまで(生徒が可能であれば)もっていきます。以前は、レベルテスト前に発表会をし、人前で演奏する 機会をきちんと作ってから、テストに臨んでもらっていました。人前での演奏とひとりで練習したり、レッスンで演奏するのとはまた別のものだからです。ひとりで練習しているときにできても、レッスンで弾けない、レッスンで弾けなければ、舞台で上手に弾くこともまた無理です。

この生徒も、このような積み重ねを5年間続け、はじめて小さなコンクールに挑戦してもらいました。以前にも、ベリオ 協奏曲9番を勉強していた頃に、一度コンクールをすすめたことがありましたが、そのときにはのってきませんでした。(笑)今はまだまだオンライン、録画によるコンクールです。今回は、4月の試験でも弾いた ベリオ バレエの情景 に磨きをかけて、ピアノ伴奏(すでに録音されたもの)を使用して、7月にビデオを作っての参加でした。

レベルテスト vs コンクール

レベルテストとコンクールの大きな違いは、レベルテストでは合格点に達すればみんなが合格できますが、コンクールの場合、入賞者の枠が決まっているため、参加者すべてが賞をいただけるわけではない ということです。

自分の演奏が入賞のかたちとして評価されない場合もあるため、そういう結果をきちんと受け止められるだけの精神的な強さ人間性も必要です。

小さいコンクールにおいては、ポイント式で、例えばですが、100-95点が1位、95-90点が2位 などとしているところもあると思います。

コンクール用の録画はピアノ伴奏者と一緒でないとダメ?

コンクールそのもののガイドラインには、ピアノ伴奏の有無は参加者の自由。すでに録音したものの使用も可。とありました。

私の周囲の先生方は、このコンクールは 伴奏者と一緒に録画しないと結果に結びつかない とかなりの勢いで言っていたのですが、生徒の希望により、私がピアノ伴奏の録音を購入し、それを生徒のために調整してあげて、使ってもらいました。

もちろん、本来は伴奏者と演奏するべきだと思います。演奏上のコミュニケーションも学び、経験できますし、伴奏者はヴァイオリン奏者をサポートするために、タイミングなど融通を利かせてくれます。演奏上のギヴアンドテイク。演奏というのはそうあるべきだと思いますが、時間も出費も重なるため、伴奏者をつけるか、ピアノ伴奏の録音を使うか、は もちろん、良い点、悪い点を両方説明したうえで、生徒に選んでもらっています。

また、今回、コンクールに提出する前に、彼にも説明してあったのですが、彼がつくったビデオは、下から録っていて、カメラアングルがあまりよくありませんでした。

このマイナスとなり得る2点からも、よく見積もったとしても2位くらいかな、と思っていましたので、「先生、1位だったよ!」の報告には、とても驚きました。基本をおろそかにせずに、苦手部分を補いながらも生徒のよいところを伸ばす、また、あまり既成概念(例えば、伴奏者が一緒でないと1位になれないなど)にとらわれ過ぎずにやってきたことにも今回後ろ盾ができたようで、とてもうれしく思いました。

実はすでに録音された伴奏にあわせるのは、とても難しいものです。伴奏部分をしっかり聴き、タイミングなどにとても敏感になる必要があるからです。しっかりと聴きながら弾くことができないと、無理が生じます。

自分が自由に弾けない という気持ちから録音された伴奏を使用したくない という人もたくさんいると思いますし、そうさせたくない先生もたくさんおられるようですが、何を演奏するにおいても、拍の制約は必ずありますし、自由すぎるのも実は問題だったりしますし、毎回演奏するたびに、大きくタイミングが変るのではリハーサルをする意味もない。(笑)ので、一長一短。どんな状況でも実力をだせるようになるには、ときに録音された伴奏で、聴きながら弾く能力を高めるのはひとつ意味があるようにも感じています。

1位 vs 2位:コンクールで本当にその演奏家の能力を測れるか?

私自身、これまでたくさんの生徒たちと時間をともにしてきましたが、コンクールで1位をいただく機会はあまりありませんでした。大体において、2位どまり。けれども、生徒たちの実力を振り返ってみると、今回の彼ではなく、他の生徒たちのほうが1位をいただく可能性が高かったように感じており、それも私を驚かせる要因のひとつでした。

審査員の考え、採点方法、他の参加者(演奏者)の演奏の質、などなど、コンクールではいろいろな要因が結果を作用します。一番良いのは、結果にとらわれ過ぎず、ひとつひとつを演奏の機会と捕らえ、そこから学ぶ という姿勢で、若いうちはそれを重ねていくことが大切です。もちろん、結果がついてくればそれはそれですばらしいことですが、今回のこの結果、そして、過去のすばらしい生徒たちが2位どまりであったことを考えると、コンクールの結果はひとつとても大きな達成となりますが、それだけでは測りきれないのが芸術 という気持ちも否めません。

彼の今後

彼は、その後、いくつかの曲を勉強し終え、私が数曲与えた選択肢のなかから、ブルッフ ヴァイオリン協奏曲 ト短調の1楽章を学びはじめました。今年は、彼にとって、学業がとても忙しい年になるので、レベルテストも、コンクールもどうなるかはわかりませんが、あまり無理なく受けられるようであれば、また挑戦しましょう、と話しています。ブルッフの1楽章は、すでに録音された伴奏に合わせるのは難しいですよね。(笑)私がうまく調整してあげられるかどうか(笑)、できればピアニストと一緒にできるといいな、と思います。

まとめ

  • もともと音感、リズム感、ヴァイオリン演奏を楽しむことができる、毎週与えられた課題をきちんとこなせる など、平均的な資質があった。
  • 5年間、コンクールには取り組まず、地道にコツコツとした積み重ねを続け、私が彼の入賞の可能性(どんなに小さくても)を感じられるようになるまで、コンクールを受けるのを待った。
  • 今回のコンクールは動画による審査。伴奏者とともに録画をしないと絶対に無理!!という先生方が多いなか、録音されたピアノパートを使用し、カメラアングルもイマイチのスマートフォンでの録画でしたが、1位をいただくことができた。
  • 彼よりも能力が高い生徒たちは、過去の経験において2位どまりでしたので、結果だけにとらわれず、その経験を生かしていく姿勢が大切。

応援しています!

音楽を通してのいろいろな体験のなかには、人生の縮図といえる部分もあります。長く取り組めば長く取り組むほど、そのような人間の成長を促す部分に出会うことができます。コンクールを受けようとされているみなさま、どうぞ受けられるという事実に感謝しながら、応援してくださる方々に感謝しながら、今の自分を大切に、しっかり取り組んで、学んでくださいね。応援しています! 

コンクールでは常に上位だったけれど、1位にはなれなかった私のすばらしい生徒のその後はこちらの記事でご覧にいただけます。「先生お元気ですか」https://www.dearviolinstudents.com/ja/2020-03-06-153451/592/

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3 thoughts on “「先生、1位だったよ!」:(小さな)コンクールを受けるにあたって

  1. 録音した音源とのむずかしさは、ダンスのほうでもあります。ところが、ほとんどのダンスは録音音源でやっている。また、演奏者とダンサーの『呼吸の合う合わない』は『時空藝術の本質にかかわるところ』なので、3年前までは録音音源なしでのダンス、というのを後援していました。昔、イタリアの誇る名歌手、ディ・ステファノが歌手とオーケストラの指揮者が歌手の息継ぎを考えない人がほとんどになった、と嘆いていました。生きて呼吸している人の音楽ですから、生身の演奏の意味は実に深いと思います。

    週末の深夜、日本ではショパン・コンクールのドキュメンタリーをやっていました。面白いと思ったのは、出場した70人以上のピアニストでそれを選んだ人が一人しかいなかったイタリアのFAZIOLI、ファッイオリが決して悪くなかったと思えたことです。『みんな、聴きなれたところを選んだ』というのと『弾きなれたものを選んだ』ということなのかな、と思いました。

    コンクールでの順位というのも私は重視しません。昔、アダム・ハラシェビッチという人が優勝した時、審査員の何人かは大ブーイングして意見がわれましたが、たしかに夜想曲などの静かな曲の情緒・叙情では深いものがあると思いました。一方、その選定に不満な人たちは『ピアニズム重視』だったと私は思いました。マルクジンスキーなどはいまやまったく無名ですが、マズルカなどの土着の曲の味わいはじつに味わいがある演奏をしていました。

    何年か前、新宿を抜けたらパスカル・ロジェのポスターが貼られていて、ビックリしました。私は平尾さんからロジェがデヴューした時話を聞いて、最初のコンサートに行ったことがあります。各地のコンクールでそうとう数優勝しましたが、それから40数年間、驚くほど地味だった印象です。

    コンクールは自らの励みと、チャンスをつかむきっかけにはなりますが、それ自体がゴールでも目標でもない感じがします。

    1. 転輪一道さま、
      コメントありがとうございます!
      私がお世話になっていたプロのオーケストラのすばらしいコンサートマスターの方が、最近、バレエも録音を使うようになってきた と当時嘆いてらっしゃるのを思い出しました。
      コンクールはいろいろな意味で、自分を成長させるいい機会になりますが、おっしゃるとおり、それ自体がゴール、目標になってしまう のは違いますよね。上手に、有意義に使わないといけないと思います。
      いつもすばらしいお話をありがとうございます!

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