楽譜製本のかわりにスケッチブック

将来的な日本への引越しを考えると、楽譜はとても重いもの。先生に師事してしっかり学んだときの情報が書き込まれた楽譜の多くはそのまま持ち帰るにしても、インターネット上で入手できるコピーで使用した楽譜はできるだけ処分し、また、簡単に手に入らないものや、たぶん今後は使用しないだろうものでも大切と思えるものはスキャンしてコンピュータに収めながら、いろいろと整理をしはじめています。

今や、コンサートでもタブレットが使用されることもでてきましたが、私はまだまだ紙が好き。

私がはじめてオーケストラで弾く体験をしたころには、まだまだインターネットが普及しておらず、楽譜もとてもとても貴重に思えて、その頃に弾いた楽譜もずっ~~ととってありました。オーケストラ、室内楽 などなど、たくさんの作品に出会い、いつもいろいろな楽譜を手にするたびに、とてもとてもわくわくし、心躍らせたものでした。

こちらの楽譜は 製本をする代わりに、スケッチブックに楽譜を貼り付けているもの。楽譜めくりのタイミングなども考えて、上のほうには切り貼りもみられます。とても懐かしいです。

でも、毎日のように、このように楽譜をゴミ箱に収めなければならないのには、まだまだなれずに、なんだか心が痛みます。

裏紙をメモ用紙などに使用したりもしていますが、それ以上のものがゴミ箱に入っていきます。複雑な心境です。

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ストラヴィンスキー「春の祭典」: この音、あってる??ーー楽譜の誤植ーー

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2 thoughts on “楽譜製本のかわりにスケッチブック

  1. 『あげる』というのは?日本だとお経などでも、誰が書写したと必ず日にちとともに書いてありますね。1974年ごろの話で古いですが、当時『雄鶏とアルルカン』というストラビンスキーのことを書いたコクトーの本を見つけ(昭和一桁のころの第一書房刊)、中にエリック・サティの話が出てきましたが、音源は一切ありませんでした。なんとか、どういうものか聴いてみたいと、さがしまくって、ようやくお茶の水のある洋書屋でジムノペディの楽譜をみつけたときの感動は忘れられません。のちに英国のフィッツウィリアムズ博物館で、誰もいない巨大な展示室の、布が上に置かれたガラスケースの、布をめくると(日に焼けないように)、下にバッハや、ベートーベンや、『星の運行表のようなトマス・タリスの直筆の楽譜』などを見た時も震えが来ました。インターネットでひょぃと楽譜を呼び出すのは、便利かもしれませんが、何か『楽譜の神聖な感じ』が薄れるような気がします。今はなくなってしまいましたが、英国のブリストルに、やはり『楽譜は捨てられない』という店主が、自分が整理しないといけない楽譜を、すべて壁に貼ってインテリアにした喫茶店があったのを思い出します。

    1. 転輪一道さま、

      コメントありがとうございます!
      そうなんです。「あげる」ということももちろん考えているのですが、今、私が整理しているのはすべてコピーで、弓使い・弓順なども、私が学生のときのあまり頼りにならないものだったり、プロのオーケストラ時代に弾いたもので重複があるものからなので、処分に値するかな、という感じです(笑)。購入した楽譜はやはり処分するのは本当に難しいですし、それ以上にそこに書き込まれた情報が私にとっての宝でもあるので、基本的には日本に持ち帰りますが、どうしても処分しなければならないものは、図書館に寄付、そして、必要と感じている生徒たちにあげたり、という風になると思います。
      私もアメリカからヨーロッパに電話をして、楽譜を取り寄せたいい思いでもあり、ついそのときのInvoiceなども保管してあります。(笑)
      楽譜のもつ魅力や力を同じように感じてくださる方があると知るだけでも、とってもうれしいです。
      英国のその喫茶店、ぜひ行ってみたいです!

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