Rondo for Violin and Orchestra in C major, K. 373 – Nathan Milstein
最近、モーツアルトがとても気になっていて
過去に勉強した曲にまた触れてみたいと考えています。
ふと、なんとな~く、検索をかけてみると
今日、Youtubeで私の先生の先生の演奏がでてきました。
ミルシュタイン先生の動きや手の使い方が、私の先生と似ていることに気づいて
先生が先生のことを尊敬されているからこそ、そうなるのだな…と
つい微笑んでしまいました。
1. Music for The Fingerboard – Josef Gingold – Interview & Recordings
私がお世話になっていたオーケストラのコンサートマスターも
実はスゴイ方で、何度か指導を受けたことがありますが
彼はギンゴールド先生に師事をされていて
ギンゴールド先生のように話し、なんだか声も似ていました。(^^)
けれども
私の演奏を聴いた方が、私の演奏は、私の先生のものとは違うね、なんで?
なんてたずねてくださったことがありました。(笑)
私はもちろん、私の先生をそれはそれは!!!!尊敬していますが、
私は一度たりとして先生のように弾くようにといわれたことは一度もないからです。
自分の演奏は自分の責任。
自分の表現をみつけなさい。
ある意味、とても厳しいお言葉です。
いろいろな表現、いろいろなヴァイオリンへのアプローチの方法を試して
でも、結局は、先生の近くに戻っていくのかもしれません。
どうなるかは、誰にもわかりません。
でも、だからすばらしいのだと思います。
そういえば!ハイフェッツに師事してらした
クレア先生やシェリー先生にお世話になったこともありました。
みなさんどうしてらっしゃるのかしら、お元気かしらとふと思い出した今日でした。
よろしければこちらもどうぞ:
にほんブログ村
こんにちは(´・ω・`)
凄いヴィルトゥオーゾの孫弟子さんだったんですね~(;^ω^)
アートオブヴァイオリンというヴィデオで見たような人々ですよ。
皆、個性的で、音色一つとっても物凄く変わるし、弓遣いやヴィヴラートも表現もヴァリエーションがあって、こんなに違うものなのかと驚いた記憶があります。
それは派閥というか、師匠からの流れで変わりものだけでないと感じました。誰々の弟子だからといって、同じ演奏に成る筈がないですよ。
あるマスタークラスで、あなたは凄いいい身体(端的にいうとデブ)をしているから、もっとダイナミックな音が出せるわよと言われて、まるで、自衛隊に勧誘されたようでショックでしたけど・・・みんな身体的特徴があるので、演奏法は自分で自分の身体を生かしていかなければならないと思います。
手が小さいとか、指が太いとか・・・私の父は指が太くて、まるで全部が親指みたいなオイストラフのような、いい指をしていると回りから言われて落ち込んだことがあるそうです。事実、ピアノの黒鍵と黒鍵の間に指をいれると挟まるそうで・・・( ゚Д゚)
脱線しました。
世阿弥でしたっけ、守破離という理論はヴァイオリンにも当てはまるように思います。
離ですよね・・・先生から受け取ったものをベースにして、自分独自の演奏に羽ばたくということ。それが受け継ぐことだと思います。
すばらしいコメント、ありがとうございます!
巨匠たちの時代は、本当に、みなさんそれぞれの存在がユニークでしたよね。
この記事をそろそろ書き終えようとしたときに、先生の先生たちの名前があまりにスゴスギテ圧倒されてしまい、アップしようとした手が一瞬カタマリマシタ。。。
おっしゃるとおり、同じ人間といえども、同じ身体は決して存在しませんよね。
大きな人は大きな人なりに、小さな人は小さな人なりに、問題があるし、もちろん、長所もある。指1本とっても同じことがいえますよね。骨の長さ、関節の状態、筋肉の状態。。。音楽の表現と同じで、みんな違って、だからおもしろい。結局は自分のスタイルをみつけないとですよね。
ご自身やお父様のpersonal experienceをshareしてくださって、ありがとうございます!!
こういうお話を聞けるのはとっても貴重です!!
「守破離」のお話が最後にさら~っとでてくるのも、ちょっとマニアックなclassic_stringsさんならではの感じがして、お話しに感動したと同時に、コメントいただけたこと、つながっていることにとっても感謝です☆
これからもまたいろいろなお話、聞かせてくださいね。楽しみです☆